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Koken-ji temple
旧光顕寺
真宗大谷派説教所が朱鞠内に建立されたのは1934年のことでした。1935年に名雨線工事が始まると命を落とした犠牲者の遺体が運び込まれるようになりました。1938年雨竜ダムの工事開始後も強制労働の現場で人が亡くなるとその遺体が持ち込まれ、やがて説教所は死者を弔う場となっていきました。
1947年に説教所は光顕寺と改称しましたが1962年以後無住の寺となりましたが、地域住民の手で建物と中に残された死者たちの位牌は守られ続けました。
その後1992年に空知民衆史講座に建物は移譲され、1995年朱鞠内での強制労働の歴史を伝えるべく笹の墓標展示館が開館しました。
1997年からは東アジア共同ワークショップのベースキャンプとしてなど人々の集う場となりましたが、2020年冬、雪の重みで光顕寺は完全倒壊してしまいました。
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